2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震 地震発生時から帰宅後までのメモ

地震で被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

記憶の新しい内に地震発生時から帰宅後までのことをメモしたいと思います。

2011年3月11日(金)14時46分、三陸沖を震源とする地震が発生、マグニチュードは8.8で観測史上国内で最大規模の地震とのことだ。マグニチュードとは地震が発する指標値であり、それが2増えるとエネルギーは1000倍にもなる。1増えると約32倍とういうことになる。宮城県栗原市では震度7を記録したそうだ。震度とはある地点における地震の揺れの程度を表した指標であり、現在の日本では気象庁震度階級が使われている。震度階級に国際標準は無く国ごとに定めたバラバラな階級が使われている。日本では1990年代半ばまでは、気象庁の職員が体感や被害状況から判定していたそうだが、1996年から機械による計測数値のみを使用し0から7までの10段階(5と6が強弱の2段階)ある。地震発生時いた東京都千代田区、私の生まれ育った佐野市と自宅のある埼玉県戸田市が震度5強、一時勤務していた栃木県宇都宮市と母の実家のある栃木県大田原市が震度6強だった。

地震発生時、東京都千代田区西神田にあるビルの5階で再就職の活動準備の為のセミナーに参加していた。部屋には講師と参加者14名がいた。一つのテーブルの周りを4人が囲む構成になっており私たちのテーブルは私の他に男女1名づつだった。残り1名の女性は午後は欠席だった。兎に角今まで経験した事の揺れでもう最後かと思った。最初は縦に揺れたと思うが、それよりもその後に来た横揺れが酷かった。壁に掛かっている時計も落ちそうだった。幸いセミナールームだったので倒れそうなものは無かった。テーブルに下に隠れ地震が収まるのを少し待った。少し収まったところで荷物を鞄に入れ部屋を出て、直ぐ近くのトイレに入った。ビルからはミシミシという不気味な音が聞こえた。エレベーターは止まっているし利用できたとしても危険なので非常階段を使って地上まで降りた。途中、ビルの壁は少し剥がれていた。

まず一番心配なのは妻の事だった。長女は勤務先、次女は学校だが妻は自宅に一人でいるので下敷きになっていないか心配だった。携帯で電話しても繋がらない。仕方無いので、メールを出しておいた。ビルの通り側に出ると私の前に座っていた女性がいた。話を聴くと実家は仙台とのこと。やはり電話が通じないとの事。ご家族のご無事を祈る。

兎に角家に早く帰る事が先決かと思い、タクシーに乗るために水道橋駅の西口方面に向かう事にした。Google Mapの検索によると車で27分、徒歩3時間。ただ帰るだけなら徒歩でも良いが、安否を早く確認したいのと徒歩は危険であり、電車は動いていないだろうと思い、皆がタクシーを利用始める前に利用するのが得策と思った。横断歩道を渡ろうとすると15時15分頃立っていられない位揺れ始めた。茨城県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震だったようだ。横断歩道を渡った直ぐのところは古いビルで危なそうだったので後ろに戻りそばにあった木にしがみついた。数分後揺れが収まったので、また歩き始めた。

15時25分頃、水道橋駅西口付近に着いた。客の乗っていないタクシーを見つけたが、生憎道路の真ん中を走っており掴めることが出来なかった。もう少し歩くとタクシーを止められそうな通りに出た。右ににもタクシーを止めようとしている男性がいたが、私の丁度前で女性客を降ろすタクシーが運良く止まってくれた。早速ガラス窓をノックし乗る意思を示した。釣り銭が無いのか女性が降りるまでに1分以上掛かった気がする。やっと女性が降り私が乗ろうとすると後ろにいたおばさんから「どちらに行かれますか?」と聴かれた。「埼玉方面です」と答えると「では新宿は通りませんね?」と聴かれたので「はい」と答えた。それは事実だったし申し訳無いがこちらも急いでいた。

運転手さんは78歳との事で補聴器らしきものを付けていた。地震発生時はタクシーも大分揺れ、女性客は怖いと叫びしがみついていたそうだ。乗車時、高速は利用せず下で行かれますねと言ってくれたが大正解だった。首都高速は閉鎖されたようだった。時間が経つに連れてその影響か道路は混み出しノロノロ運転になってきた。家に着く直前で戸田橋を渡るが、渋滞が出来るのは必至だった。急遽自宅まで徒歩30分位のところで降ろしてもらうことにした。現金で払おうとすると釣り銭が無い。カードで支払おうとすると何故かカードが読み取れない。運転手さんが近くの介護施設に行って両替して貰って漸く解決。

自宅に着いたのは17時過ぎ。特に大きな被害は無く妻も次女も帰っており無事だった。長女もやがて何時もより早く帰ってきた。地震発生時、妻は車を運転しており信号待ちだったそうだ。信号が青になっても他の車は直ぐには動こうとしなかったようだった。家の外で自転車が倒れたのと家の中は、金魚の水槽の水が溢れていた。額が落ちて壊れた。固定していない箪笥が少し動いた。本棚からはみ出していた本が落ちた。其れぐらいの被害で済んだ。

時間が経過すると共に死者や不明者の数は増えており発生日翌日14時15分の時点で1400人を超えている。被害も拡大している。亡くなられた方々にはご冥福をお祈り申し上げます。被害に遭われた方々にもお見舞い申し上げます。

余震は今でも続いており暫くは様子を見た方が良さそうだ。

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